ユダヤ人が大量虐殺されたことは、よく知られている。それは彼らがその歴史を語るからである。彼らはその受難をどうにか意味づけしようと努力してきた。語ったり、国を建てたりするのが、その努力の一環である。
 収容所を生き延びた人たちの中には、ものすごくポジティヴな思考の持ち主がいる。当時のことを尋ねると、「あれは私の人生に於いて、非常に貴重な体験でした」などと言う。そんなふうに「物語化」することができるから、収容所もその後も生き延びられてきたのである。ポジティヴな物語化ができない人は、収容所を生き延びられないか、もしくはせっかく生き延びられたのに、その後自殺してしまったりする。

 他人からすると、あまりにもポジティヴすぎて却って深淵を覗いてしまったような、空恐ろしさすら感じる「物語」なのであるが、本人たちの生存には必須なのである。民族としてのユダヤ人たちも、受難がイスラエル建国へと昇華される物語を必要としたのだろう。これも他者からすると無理のある物語で、だから実際面倒なことになっている。

 ユダヤ人と同様に大量虐殺されたが、あまり知られていない民族に、ロマがいる。知られていないのは、彼らが語らないからである。そんな彼らに、「なぜあんなことが起きたと思うか」と尋ねると、「運が悪かったから」という答えが返ってきたという。

 彼らは、「第二の歴史」を語らない。身を守るための物語を持っていないし、必要ともしていないらしい。そうして、「世界の絶対的怪異性」をまともに受け止め、「運が悪かったから」としか言いようがないのだろう。そんな状態で、彼らは生きている。

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